ピラティスという、自己理解の方法
マシンピラティスが流行してしばらく経ちましたが、まだまだ人気が続きますね!
「身体を整えるためのエクササイズ」として世間一般的に知られてきていますが、深く向き合うほどに感じるのは、それが単なる運動ではなく、自己理解のための実践であるということです。
呼吸の深さや骨の動き、筋肉の微細な反応を感じ取ろうとすると、そこには自分自身の“無意識の癖”が表れます。
必要以上に力を入れている部分、逆に意識が抜けている部分。
それらは日常の思考や行動の傾向とも不思議と重なっています。
身体のこわばりは、心のこわばりと繋がっています。
「失敗したくない」「完璧でいたい」「早く結果を出したい」——
負けず嫌いの私はよくこんな気持ちになるのですが笑
そんな気持ちが、知らず知らずのうちに身体を固くしていることがあります。
けれど、そのこわばりに気づける瞬間、私はピラティスをやっていて本当に人生が良くなったと毎度実感します。
ピラティスを知らなかった6年前、恥ずかしながら私は当時漫画家を目指していたのですが、身体はカチカチ。心もどんどん頑固になっていきました。視野も狭くなって、「こうでなくちゃならない!」と一つの考えに固執して人生が本当に苦しかったです。
身体の強張りが取れないから夜もなかなか寝つけません。一度眠れても途中で目が覚めてしまいます。眠れないから思考もどんどんおかしくなっていきます。思考が凝り固まるので身体もさらにガチガチになっていく。負の無限ループでした。
そのループから抜け出せたのは、やはり、運動のおかげでした。
特にピラティスは、頭でっかちな私が、身体を通して“自分を観察する時間”として
フラットな気持ちで身体を動かせた。
上手に動くことが目的ではなく、「いま、自分がどう動いているのか」「何を感じているのか」それだけをただ感じる時間として捉えられた。
たとえうまく動けなかったとしても、
「できていない自分」を直すのではなく、
「いま、こうなっている」と受け入れることから整いは始まります。
ピラティスは、その受容と変化のプロセスを、身体のレベルで体験できる稀有なメソッドです。
動きながら、自分を理解していく。
それはまるで“動く瞑想”のような時間です。
身体を整えることは、心を整えること。
ピラティスという自己理解の方法を通じて、
自分の内側に静けさとしなやかさを育てていく。
もし、ピラティス以外でこんな効果を持つもっと画期的な方法が今後出てきたら、そっちにいくかもしれません笑
でも出てこない限り、私は一生ピラティスをやり続けます!